横浜市寿町の野宿者は今

九月二七日午後十時、横浜駅構内で毛布の配布が始まった。

横浜水曜パトロールの会は毎年横浜駅周辺で生活する野宿者に毛布の配布を実施している。
横浜水曜パトロールの会は、その名の通り毎週水曜日に横浜周辺を定期的にパトロールしている会である。

横浜駅周辺には野宿者が多い。
毎週僕らは野宿者達一人一人と話をする。
その話から野宿者たちの実態を把握している。
中には病気にかかっていたり、精神的に病んでいたり、高齢で動けなくなっている人がいる。
僕らは福祉を通じて彼らを病院に連れていき、または必要なアドバイスを行っている。
冬にはどうしても凍死者がでる。
そこで僕らは全国から不要な毛布を譲り受け、または購入して野宿者たちに毛布を提供している。
特に横浜は昔から港湾労働者の集まる場所で、日雇い労働者のマーケットになっているところなのだ。
地方から出稼ぎにやってきて、仕事を見つけ、仕事が終わるとまた次の仕事を探す。
石川町駅の近くに寿町という一角がある。
そこには日雇い労働者達が寝泊りする施設が多数ある。
いわゆるスラム街であり、ここが日本であることを忘れてしまうような風景。
多少の小銭があれば屋根のある寝床、小銭もなければ野宿になる。
毎年この寿町で多数の餓死者、凍死者がでる。
水曜パトロールの会は寿町生活館に勤務する高沢さんが八年前に立ち上げた会で、それ以来様々な活動を行ってきた。

野宿者といえば、怠け者と勘違いされやすいのだが、実態はかなり深刻である。
かつてバブルの頃は世間に疲れた怠け者が野宿をしているという話もあったが、最近は本当に仕事がない。
若ければバイトに就くのは困難なことではないが、五十才を越えるとそうはいかない。
以前会社を経営していた社長が今は野宿生活という場面もよくあるし、怪我をしてクビになって以来職がないという人も多い。
六十五才を過ぎて生活保護を受けられるにも拘わらず敢えて困難な野宿生活を貫徹する人もいる。
彼らにいわせると国の世話になるくらいなら死んだほうがましらしい。
彼らと話をしていると世間の冷たさを感じる。
彼等は好き好んで野宿をしているわけではないのだ、何とかそこから抜け出そうとしてもがいても、日本の社会は彼らを簡単に受け入れてはくれない。

屋根のある生活も屋根のない生活も紙一重。
僕もいつ野宿生活になるかわからない。
この記事を読んでいるあなたでさえひょっとすると十年後にはダンボールで一夜を明かしているかもしれないのだ。
能力のあるなしや、仕事をする意思のあるなしに拘わらずそれは訪れる。

JR横浜駅は夜になると野宿者を駅構内から排除する。
今僕らは、二四時間開放を求めて駅側と泥沼の交渉を続けてきている。
その交渉をしている最中に既に何人もの方が凍死している。