香港に住んでみたい!

そんな考えが私の頭の中をぐるぐると駆け巡ったのは私が高校2年生の時(平成4年)だった。小学生の時から、母の買い物の付き合いでしばしば香港を訪れる内に、私は母よりも香港通になっていた。高層ビル街のすぐ裏手に広がるスラム街。屋台料理から宮廷料理。飛び交う様々な言語。色々なものが狭い空間に「ぐしゃ」っと詰め込まれた、そんな無秩序さが好きだった。 私は香港の大学に進学することを考えたのだが、両親の猛反対にあって断念。私が通っていた学校は、小学校から大学までに一貫教育を行っており、大学への進学は約束されていたこともあって、両親は大反対だったのだ。そこで、高校在学中に少しだけでも香港に住んでみたいと思い始めた。

私の高校は日本で最も授業日数の少ない高校で、夏休みは大学並みに長かった。その夏休みを利用して、一ヶ月半ほど香港に住んでみることにした。 準備を進める中で最大の問題は、どこに滞在するかということだった。45日というのはホテルに宿泊するには長すぎ、また部屋を賃借するには短すぎる。まして香港は世界でも3本指に入る地価の高い街である。 そこで私はバックパッカー御用達の安宿に滞在することに決めた。安宿といっても馬鹿にできない。最高の立地条件にその安宿はあった。香港一の繁華街チムサッチョイのネイザンロード沿い、しかもペニンシュラホテルの斜向かいという最高の場所に、「重慶大厦」(チョンチン・マンション)というボロボロの雑居ビルがあり、その中に十部屋程度の民宿が2、30件ひしめき合っているのだ。周辺のホテルであれば安くても1泊1万円を切ることはないが、重慶大厦の民宿なら1泊千円を切る(現在でもほぼ同額)。

ただし、重慶大厦は安いだけあり、問題点もある。巨大なビルでありながらエレベータの数が少なく、しかも速度は遅く、その上一回に3、4人しか乗れないので10分以上待たされることはざら。また重慶大厦は複雑に入り組んだ老朽化した雑居ビルであるため、一旦火災が発生すると、多くが焼け死ぬ。現に重慶大厦は数年に一度火災に遭っており、前回発生した火災では2つの階を丸焼けにし、現在もその階は手付かずのまま閉鎖されている。(重慶大厦は本当に危険なので、読者にはお薦めしない。安いものにはその分、危険や不便があると理解して頂きたい。)

ただ住むだけでは面白くない。私は滞在中に広東語と中国茶芸を習うことに決めた。 香港の公用語は広東語である。これは中国語の方言の一つで、主に広東省を中心に話されている。日本で一般的に「中国語」というのは中国の標準語(北京語)のことで、中国では「国語」と呼ばれる。北京語と広東語は、英語とフランス語ほどの開きがあり、通訳無しでは会話が成立しない。当時私は、高校の第二外国語で中国語を履修していたが、現地語の広東語には興味があった。短い期間ではあるが、日常会話の基礎を取得できればよいと考え、語学学校の広東語初級クラスに通った。北京語と広東語は、発音は全く異なるが、文法は同じであるため、北京語を勉強していた私にとっては苦無く学習することができた。お陰で今でも香港に行くと片言の広東語を話すことができる。また、世界各地の華僑が話すのは北京語ではなく、広東語であるので重宝している。 そして私が毎日通ったのは、お茶屋さんだった。日本には「茶道」があるが、中国には「茶芸」がある。趣は全く異なるが、おいしい茶を点てることは同じだ。以前から茶芸には興味を持っていたが、この機会に茶芸の達人に師事することにした。「明茶天地」という茶店(主人が高齢となり現在は既に閉店している)の主人に弟子入りし、45日間みっちりと中国茶芸を仕込んでもらった。

師匠から習ったのは、茶の点て方だけではない。茶の歴史、茶器の扱い方と育て方(使い込むと良くも悪くもなる)、茶と茶器の選び方、その他多岐に渡った。中国には様々な種類の茶がある。その違いによって点て方、食事との合わせ方、全てが異なるため、知識だけでも膨大だ。しかし、私は諸々の知識よりも、茶を通じて楽しい会話を交わしながら人の環を大切にする師匠の茶との付き合い方こそ、茶芸を学んだ本当の価値だと思っている。今でも私は友人を家に招くと、中国茶を点ててもてなす。 私はロングステイに関しては完全な素人だ。本格的なロングステイをしたことがない。しかし、1―2ヶ月程度の海外生活は何度か経験した。しかし、この少ないロングステイ経験も私にとって宝石のように輝いている。

竹田恒泰
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