循環都市江戸

江戸時代の江戸は大都市でありながらも理想的な循環型の都市として機能していた。当時江戸を訪れた欧米人たちは驚き、そして感動した。そこには現在の大都市が抱える都市問題を解決するための重要なヒントがあるのだ。 江戸の街は江戸湾(東京湾)を囲むように栄え、街を取り囲むように田畑、そして森が存在し、海・街・田畑・森の四段構造になっていた。森から流れ出す小川は合流して大きな流れとなり、江戸湾に注ぎ込んでいる。

ここで養分について注目して欲しい。全ての生き物にとって欠かせない栄養分(リン等)が森にはたくさんある。そして森から流れ出す小川にも豊富な栄養分が含まれている。森の栄養分は川によって田畑に運ばれ農作物を育てる。そして川は江戸の市街地に流れ込み、人々は飲料水として使っていた。また田畑で作られた農作物は街に運ばれた。森から田畑に流れ込んだ栄養分は農作物に姿を変えて街に運ばれるのだ。このように森の栄養分は田畑と江戸の街を通過して江戸湾に運ばれることになる。生活排水も江戸湾に捨てられた。また江戸湾に運ばれた栄養分によって今度は海藻や魚介類が育つ。河口付近で魚がたくさん捕れるのはそれが原因である。つまり山の栄養分は川を伝って高いところから低いところへ「森⇒田畑⇒街⇒海」という順序で移動するのである。

しかし、江戸では栄養分は上から下に流れるだけではない。下から上へ移動する流れが存在する。まず江戸湾の魚を江戸の人々は次々と釣り上げて食べた。その魚は種類も豊富であり、江戸の街の直ぐ前で捕れた魚介類は「江戸前」と呼ばれた。また海藻も海苔となって大量に消費された。山から江戸湾に運ばれた養分は、今度は魚・海苔に姿を変えて再び陸に揚げられたのである。江戸は百万人の人口を抱えており、江戸湾から回収される栄養分の量は決して少ないものではなかった。魚や海苔という形で回収された栄養分は実は人間の手によってさらに上へ運ばれることになる。百万人のウンコは一切れ残らず全て田畑に運ばれた。ウンコは最も理想的な肥料であった。そして街で出された生ゴミもたい肥となって田畑に投入された。

田畑の栄養分は、今度は鳥達・動物達によって森に運ばれた。彼らが田畑の農作物を食べて森に帰ってウンコをすれば田畑の栄養分は森に戻されることになるわけだ。このように森の栄養分は上から下に流れるだけではなく、人間を含む動物達によって「海⇒街⇒田畑⇒森」の順序で下から上にも運ばれていたのである。栄養分が森から海へ、そして海から森へと循環していたことを意味する。またこの仕組みは自然の生態系の仕組みと同じであった。 江戸というと何か遠い昔の話をしているように思えるかもしれないが、江戸の循環システムは昭和に入っても終戦後しばらくまで存在していたのであり、それほど昔の話しではないのだ。今はすっかり変わってしまったが、、、

竹田恒泰
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