我家がテロられた日

最近、テロという言葉が飛び交っている。 世の中にはいろいろな家があるものだが、「テロられた家」はそう多くはないだろう。 忘れもしない僕が中学生の時、我家はホンマモンのテロにやられた。 危うく全焼を免れたが、そのときのショックは今でも生々しく脳裏に焼きついている。 と言っても、「恐ろしい体験」としてではなく、「恐ろしいほどマヌケな逸話」としてである。 我家は金丸信元副総理の自宅の隣であった。

当時、佐川急便の汚職事件で世間が騒然としている最中であった。 毎日朝8時になると右翼の宣伝カーがやってくる。 国賊だの売国奴だのと聞き慣れない単語が飛び交い、耳を劈く音量で罵声を浴びせる毎日であった。 とある日、右翼の青年が抗議で火炎瓶を投げつけたのである。 目標は当然に金丸邸であるはずだが、その青年何を勘違いしたか、我家を金丸邸だと勘違いした ようで、幸いにも(?)火炎瓶は目標にぶち当たり、午前3時我家に火柱が立った。 火炎瓶は我家のガレージに命中し、10メートル近く立ち上った炎は壁を三階まで焦がした。

火の燃え盛る中、その青年は逃げる素振りを見せることなく、朗々と演説を始めた。 金丸邸前は24時間体制で警察が警備しており、直ぐに逮捕されることは分かりきっている。 逮捕されるまでのしばしの間が青年にとって最高のステージとなるはずだった。 どのようなスピーチにすべきか、恐らく昨晩は寝ずにその原稿を考えたのであろう。 これから自分がやらかす大事を前に武者震いに耐えながら興奮の夜を過ごして今日の日を迎えたのであろう。 燃え盛る炎の裏、青年はその興奮を抑えながら抗議の演説を始めた。 そこに警官が近寄る。
「もしもし、あのー、金丸邸は隣なんですけど、、、、、」
「?!」
沈黙が流れた。
青年の腕には手錠がかけられ、パトカーで連衡されていった。

その日は折りしも父の誕生日であった。 早朝にたたき起こされた不機嫌な父は、何の関係もないアカの他人に散々罵声を浴びせられながら、バケツで消火活動をしていた。 車は車検でガレージは空であった為に大事を逃れたが、車に引火したら大爆発を起こすところであった。 翌日、ニュースステーションで久米宏が、 「隣の家に当たったようで、良かったですね」 我家の食卓は凍りついた。