たけぼん稲を刈る

今日は秋分の日。
昼と夜の時間が同じになるという記念すべき日だ。 その記念すべき秋分の日に僕は北海道にいた。 稲刈りをするためである。 札幌から車を一時間ほど走らせて栗山というところに行った。 そこには善生米(ぜんしょうまい)を作っている善生さんという人がいる。 無農薬の有機農法で米を作っているのであるが、札幌の小学生達を集めて毎年田植え、草刈り、稲刈りをやっている。 僕はその一連の作業の中でメインイベントともいうべきで、最もエキサイティングな稲刈りをいきなり体験させてもらった。 そこに参加している子供達は田植えから付き合っているわけで、稲刈りだけ参加する僕は、なんだか、ライオンが捕まえた獲物をハゲタカが横取りしてしまうような、ゼミ生が書き上げた論文を教授が自分の名前で学会に提出してしまうような、そんな気がして胸を痛めながら、申しわけなさそうに稲刈りに参加した。

稲は半年間降り注いだ日の光と、みんなの愛情をたっぷり受け止めてこぼれんばかりの実を連ねた稲穂で頭を垂らしている。 1株ずつ鎌を入れ、10束を一まとめに縛り、天日干しにするために棚に引っ掛ける。 善生さんの話によると、子供達が手で植えた稲は、機械で植えた稲よりも育ちがよく、いい米ができているという。 同じ環境で、同じ品種で育てても、手で植えたというだけでよく育つというのは余りに美しい話ではないか。 子供達の手で愛という力を込めて植えられた苗は、「しっかりと育てよ!」 という強い思いを受け止め、大地にしっかりと根を張り、収穫の時に僕らにまた愛を与えてくれる。 これが愛の循環、思いやりの循環である。 刈り取られた稲はしばらく干され、その後、脱穀、精米されていわゆる米になるわけであるが、家に届けられるのが待ち遠しい。


すすきのロッテリアにて