1億円の現金

皆さんはどの位の量の現金を見たことがあるだろうか。

普通に生活している分には100万円以上の大金は現金として扱うこともそうあるものではない。 扱うとしても小切手であったり振込みであったりして、大金を大金として実感が湧く形で扱わない。 仕事柄不動産の取引の場面では何億というお金を動かす場面に立ち会うことがあるが、全て小切手と領収書の交換で終わるため、何億の取引をしたという感覚がない。

つい先日会社の増資で現金6000万を扱った。久々に見る大金。 僕は以前、友人の事務所に遊びにいったときに机の上に現金の山があって驚いたことがある。 腰を抜かしそうになりながら尋ねたらば2億8千万あるという。 「日本銀行」と書かれた帯に巻かれた札束が幾重にも折り重なってビニールでパッキングされている。 やはり現金の存在感は大きく、さすがに2億円以上を目の当たりにすると空気が凍りつくほどの緊張感が漂う。 しかし、その存在感はさることながら生涯年収を考えると逆に虚無感に襲われる。

大卒で退職金まで加算しても生涯年収は2億から3億。 とすると目の前にある現金の山がその金額に該当するわけで、40年以上も働きつづけてこれだけかとも思えてしまうのは僕だけだろうか。

確かに想像を絶する威圧感はあるものの、考えてみればカミッペラともいえる。いま僕がこの塊に火をつけてしまったら何の価値もない灰になってしまう。 これは現金に限らず家でも宝石でも同じこと。 人間はこのお金のために泣いたり笑ったりしているのだ。 日々の家賃、食費などの支払いをして、そこそこのマンションなり家を購入し、車を持ち、子供を2人大学まで行かせたらだいたい老後までに使い切ってしまう金額である。 僕は2億8千万の現金をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていた。