湯船に浸かって涙-中国編-


揚子江を登る船にて 武漢から重慶

都市部にある高級ホテルには、各部屋に立派なバスタブとシャワーが完備されているのが常であるが、僕が日常投宿するような安宿にはそのようなものはなく、良くても共同のシャワーがあるだけである。
でも田舎の小さい宿でも場合によっては共同の風呂があったりするから面白い。
改めて中国の多様性を感じる。
中国では自宅に風呂やシャワーのない人たちが星の数ほどいる。
路上で洗面器に溜めた水を使ってシャンプーをしている人たちをよく見掛けるし、垢まみれで髪の毛がガビガビになっている人も多い。
特に田舎では小奇麗にしている人は皆無といっていいだろう。
着ている服もかなり汚い。
一口にシャワーといっても我々が普通に想像するようなものとは掛け離れている。
壁には剥き出しの配管が這っていて、頭上に突き出ているパイプから水が落ちてくるといった簡単なものが多い。
当然固定式である。
中国でシャワーを浴びる際に決まって悩まされるのは、お湯が出ないということ。
ある時間帯のみにお湯が出るシステムになっていて、しかも利用者が多い場合にはその時間帯でもお湯は出なくなるし、さらに服務員の気分によってはお湯を沸かしてくれないこともある。
このような状態だから、お湯にありつけるかどうかは運次第なのである。
だからシャワーから帰ってきた人から、お湯が出たかどうか、それが十分な熱さであったかを聞いておくことになる。
十分な情報収集をしても、いざシャワーを浴び始めてからだんだんぬるくなってきて、しまいには凍えるほど冷たくなってしまう事も少なからずあった。
それがシャンプーの途中だったりすると目も当てられない。
ある宿での話だが、僕はどうしてもその日頭を洗いたかった。
しかし既にお湯は出なくなっていると聞き、仕方なく部屋に備え付けのお湯のポットを持参した。
中国では水道の水が飲めないから、宿には必ず飲料水としてポットのお湯がある。
聞いた通りお湯は出ない。
冷水を洗面器に注ぎ、そこにポットのお湯を入れてぬるくしてシャンプーをした。
今からその作業を想像するとかなり間抜けな光景である。
ところが苦労の甲斐もなく直ぐにポットのお湯は底を突いてしまい、結局は冷水で頭を洗った。
その町は標高が三千メートルあり、気温はかなり低い。
冷水で冷やされた体をブルブル震わせながら部屋に戻った。
田舎の小さな宿ともなるとちょっと形式が違ってくる。
宿の主人が
「今日は何時にシャワーを浴びますか。」
と尋ねてくる。
時間が近づくと主人は川から水を汲み上げ、蒔を使って湯を沸かす。
そして沸かしたお湯をシャワー小屋の上にあるドラム缶に移す。
なるほど、シャワーの蛇口をひねるとその上にあるドラム缶からお湯が送られるという仕掛けになっているのだ。
なんと心のこもったシャワーなのだろうか。
初めに気付いた時には感動して立ち尽くしてしまった。
こんなに温かいシャワーは日本にはきっとないだろう。
シャワーといえば苦い思いばかりであったが、とても素敵な中国雲南省橋頭での一コマであった。
でも熱いお湯は上の方に溜まってしまうから、始めはぬるくても使っているうちにだんだん熱くなってくるという欠点もある。
お湯が出ないのは確かに困ったことではあるが、それだけでは本当の不便を体験したことにはならない。
なんと、中国には熱湯しか出ない恐怖の風呂があった。
雲南省中甸でのことである。
田舎の宿の割にはちゃんとしたバスタブと洗い場が備わっており、ただそれだけでワクワクしてしまう。
いざ蛇口をひねってみると熱湯しか出ない。
とにかくバスタブに熱湯を張った。
「早く冷めろ!」
と念じながら待ったのだが、いつになったら入れるのか検討もつかない。
そこで宿の従業員に相談したところ、井戸から水を汲み上げるように指示された。
水しか出ないのであれば、気合を入れて冷たいシャワーを浴びることもできるけれども、熱湯しか出ないとなるといくら気合を入れてもどうにもならないし、うっかりすると危険でもある。
苦労して熱湯を井戸の水で薄めてほどよい温度になった。
湯船にゆったりと浸かって感動の嵐に包まれる。
それまでは良くてもシャワーしかなかったから、湯船に浸かったのは三週間ぶり。
それにしても田舎のチベット族の町で、よくもバスタブを備えた宿があったものだ。
普段日本で生活しているとバスタブがあるのは当然だし、お湯と水がちゃんと出るのも当然で何のありがたみも感じないけれども、中国ではお湯が出ると感謝して、その後は最後までお湯が出つづけるように祈りながらバスタブが満たされるのを待つ事になるから、毎回新鮮な思いで風呂に入ることができる。
でも期待を裏切られることの方が多い。
身近なことで感動を見出せるのは本当に素晴らしいことではないだろうか。
こんなに風呂事情の悪い中国だけれども、誰もそのことに疑問を抱いていないし、みんな幸せに暮らしている。


平成7年6月
竹田恒泰