鼻のかみかた-中国編-

中国人の雑踏に足を踏み入れると実に様々な発見がある。
中国人の生活習慣は日本人のそれとは大きく異なっていて、町中にいる中国人の日常の何気ない仕草に驚愕して立ち尽くしてしまうことがよくある。
殊に、中国人が鼻をかむシーンには目を見張るものがある。
まず利き手で片方の鼻の穴を塞ぎ、口を閉じて思いっきり鼻から息を吹き出す。
それと同時に鼻水が勢いよく地面に叩きつけられる。
同じことをもう片方の鼻の穴を塞いでやれば、めでたく鼻の奥に溜まった鼻水が排出されるわけである。
ここでのポイントは噴き出す息の強さにあって、強ければ強いほど勢いがよく、カッコよく決まる。
息が弱いと鼻水が口元にたれて残ってしまうが、たとえそうなっても中国の人は気にしない。
手のひらでぬぐってズボンで拭けばいいのだ。
中国では鼻をかむプロセスにティッシュペーパーは登場しない。
なんと合理的なのであろうか。
日本人が鼻紙で鼻をかんでいようものなら、
「こいつ何やってんだ?」
という目つきで人が寄ってくるほど異様なのだ。
向こうの人から見れば、わざわざ高価な紙を使って、その上鼻水を包んで持ち歩くなんていうことは信じられないことなのである。
ちなみにこの作法は男性だけでなく、女性も同じなので驚かざるを得ない。
では、鼻水でなく鼻クソの場合はどうするのか。答えは簡単。その場所がどこであろうと構わずにホジればいい。
ほじり出したモノを手で丸めてはじくと全ては終わる。
やはりここにもチリ紙の登場する幕はなかった。
食堂ではコックが料理をしながら鼻クソをほじっているから終わってる。
でもそういう人達の中にいるとそれに慣れてしまって、ふと考えさせられることがある。
「人前で鼻クソをほじったり、鼻水を噴き散らしたりするのが下品な行為だなんて誰が決めたんだろう?」
確かにおかしな話だ。
現実に中国では十二億人がそうやって生きていて、彼等にとっては目を擦ったり、頭を掻いたりする程度の意味でしかない。
それにしても、目の前で若い女の子に鼻をほじられた時には驚然としたものだった。
鼻水、鼻クソときたら次は痰について語らざるを得ない。
なぜか中国人は場所、時をわきまえず痰を吐きまくる。
日本だと一部のオヤジだけだが、中国では子供から老人まで、しかも女性までがみんな同じ方法で、痰を吐くのに日々明け暮れている。
普通の人でも一日に数十回、多い人では数百回、
「ガーッ、ペッ!」
を繰り返すのであるから、街じゅうどこにいてもそのシーンが目に飛び込んでくる。
やはりここでもチリ紙は無用の長物であった。
どうして中国人はこうも頻繁に痰を吐くのかよく分からない。
生物学的な違いが日本人と中国人の間にあるとは思えないが、ちょっとでも口の中に違和感を覚えたら痰を絞りだすという習慣が体にしみついてしまっているのだろうか。
長江の三峡を船で旅した事があるが、千人の乗客が一日に百回痰を吐くとすると一日に十万、十年で三億六千五百万もの痰があの小さな船の中に吐き散らかされた計算になる。
量はともかく、所構わずにしてくれるのでいつもヒヤヒヤさせられる。
中国人はホテルの部屋でも船室でも構わずにベット脇に痰を吐く。
しかも長距離の寝台バスでは上段のベットの人も廊下めがけて吐き下すものだから、下のベットにいる時なんて怖くて廊下に顔も出せないし、何時降って来るとも分からない痰の雨にビクビクしながら寝ることになる。
街中のある程度高級なレストランでさえ、女性ウェイターが客の目の前で派手に床に痰を吐いた上に、犬が足元に来てオシッコをしていくものだから開いた口が塞がらない。
そんなことに気を遣っている中国人はいないのだ。
これが中国の常識なのである。
これだけ痰が乱れ飛んでいるのだから、いつかはきっと浴びせられる時がくるのではないかと思っていたが、やはりその運命の時はやってきた。
雲南省の昆明という街での出来事だった。
僕が街の写真を撮るべくカメラを構えたその時に、すぐ脇に駐車していたバスの中から痰を浴びせられた。
その痰は見事僕の右腕に命中。
しかもただの痰ではなく、緑色の風邪の痰。
共に吐き出された霧状の唾も顔一面に浴びてしまい、一種の恐怖感を感じてしまうほどであった。
あんなに近くからやられたのだからおそらくわざとやったのだと思うが、いまだに意図が掴めないでいる。
おばあさんだった。
僕を外人と思い、嫌がらせのつもりでやった可能性が高い。
それ以外にも、中国人の吐いた痰が荷物などにかかったという話はよく聞く。
あれだけ痰が飛び交うのであるから長い間旅行していれば一度や二度かけられてもおかしくはないだろう。
彼等は、朝のラッシュでギュウギュウ詰めになっているバスの中ですら人を掻き分けてでも痰を吐こうとする凄まじい神経を持っている。
始めはその都度驚いていたが、その内慣れてきて何も感じなくなった。
これが人間の本性なのかもしれない。


平成7年6月
竹田恒泰